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ギャンブルと親と私

投稿日:2017年8月15日 更新日:

先日、実家に顔を出しました。

父親にも挨拶をしようと思ったら、テレビの競艇中継を見ている父。

相変わらず好きだなーと思ってしまいました。

普段はテレビの中継を見ながら、自分で予想を立てて、「当たった」とか「惜しかった」と一喜一憂しているだけですが、年に数回だけ母に許可をもらって、競艇場に行っているようです。

持たせてもらえるお小遣いも限られているし、年に数回だけなら許容範囲ですが。

今は、年齢が年齢だけに競艇場にたどり着けるのかとか無事帰宅できるかどうかの方がやや心配ですね。

ギャンブル三昧の父と私たち

以前は本当にひどかったです。

私が、子供の頃は、父と出掛けると言えばもっぱらパチンコ屋で、時々場外馬券売り場、「釣りに行く」と釣り竿を持たされて出掛けた先は競艇場。

多分場外(競艇場の中に入った記憶が無いのです)で、釣りをして過ごしながら父親のお迎えを待つような暮らしでした。

ただ、子供の頃は無邪気にパチンコ屋に行けば、こぼれ球を弟と競うように拾い集め父親に自慢する(そして、時々お店の人に怒られる)感じで、時々台も打たせてもらっていました。

当時は今のようなスロットではなく1玉1玉チューリップを狙ってはじいていく物で、確かそれなりに私は上手だったと記憶しています。

その後ダイヤル式になっても時々やらせてもらっていました。

父親のパチンコ屋通いにつきあうそんな休日は、中学生になるまで続いていました。

父のパチンコ通いは、しばらく続いていて、週末家を空けているときはほぼパチンコに行っていたのではないでしょうか。

母は、苦労していました

私が小学生の頃は、タイプの学校に通い、その後タイプライターを購入して、自宅で目をしょぼしょぼさせながら、打っていました。

私が大きくなってからは、若い頃のつてを使って、デパートで販売のパートをフルタイムでしていました。

それに、時々、電話で誰かに「離婚したい」と泣きながら話しているところや手を上げるところも見ています。

子供が独立したのに、離婚していないのが不思議なくらいです。

そんな父親に私は悪いところばかり似ていると言われて育ちました

お金に対して無計画なのが似ているのでしょう。

私がするギャンブルは、宝くじで、たまに購入します。

若いときはカジュアルな娯楽としての競馬をたしなむ程度でした。

パチンコは、社会人になってストレスで心身共にバランスを崩してから、あの音の洪水や独特の香りに耐えられなくなってしまったのです。

でも、貧乏な今だからこそ、ギャンブルで一山当ててみたいという気持ちもあるのです。

ギャンブルが好きで、お金にルーズな遺伝子を受け継いでいる私は、これ以上破滅の道を急ピッチで進んでいかないように、誘惑に負けないようにしないといけないのです。

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